逃げるように、走った。そんな、いや、まさか。頭がぐるぐるでまともなことなど考えられない。浮かんでくるのはただ一つの可能性。ただ広い屋敷の中を走り回る。途中で人にぶつかってワインを零しても、礼儀知らずと罵られてもそんなことは如何でもいい。あたしはただ走る。出口なんかわからないけれど、きっと走っていればいつしか辿り付けるはずだ。そのうち疲れてきて、走る気力なんかなくなって、次第に足は遅くなってきた。なんで、あたしこんなところにいるんだろう。




「ま、って」




声と共に肩を掴まれた。あたしの肩を掴んだ手はそのままあたしを引き寄せて、振り向かせる。あたしの眼に顔が映る。後から出てきた少年の方だった。顔は同じだけれども服装が違うのでよくわかる。でも服装が同じだったら、あたしはきっと見分けることが出来ないだろう。




「君はどうして此処にいるの?」
「…教えない」
「……とりあえず、移動しようか」




あたしの肩を掴んでいた手は何時の間にかあたしの手首にまで移動していて、あたしが逃げないような強い力で引き付ける。最初は抵抗していたものの、そのうちあたしは無駄と諦めて仕方なく少年についていくことにした。あたしが諦めて力を抜いた直後でも、少年はあたしの手を握る力を弱めない。


連れてこられたのは、あたしが最初に来た衣装部屋だった。其処には双子のメイドがいて、あたしたちに気がつくとすぐに「「ごゆっくり」」とユニゾンを響かせて出て行った。それから部屋の奥にある椅子を引いて「座りなよ」とあたしを誘導する。あたしは大人しくその椅子に座った。それから、少年は「ドレス、汚れちゃったね。高かったんでしょ」とあたしに告げる。




「…これ、あんたの兄弟が貸してくれたの」
「え、」
「あんた、双子だったんだ。わかんなかったから、あたし勘違いしちゃったじゃん」
「……ごめん」
「なんで謝るの?べつに、悪いことしてないじゃん」




それもそうだね、と少年は笑った。「僕はね、君が知られたくなさそうだったから、僕のことも話さなかったんだ」…やっぱり、あたしの理想どおりの人で、あたしのことを肉親や同じ学校のクラスメイトや先生よりもずっとあたしのことをわかってくれている。あたしは、間違ってなかった。だけどそれと同時にあたしはルールを破ったことを思い知る。知りたかった、でも知りたくなかった。人間の中身を知ることはいいところも悪いところも全部、受け入れてしまうこと。あたしの悪いところを見られてしまうようで、この人の悪いところを見て理想を崩してしまいそうだったから。




「でもね、君がそうでも僕は君のこと知りたかったんだ」
「……」
「そして、君に僕のことを知ってほしかった」
「…あたしの名前、知ってる?」
「知らないよ。光は調べてたみたいだけどね」
「ひかるって、さっきの?」
「うん、僕の兄」




君のこと、教えてくれる?優しく諭すような口調にあたしは頷く。もう、いいよ。あたしが破ってしまったのだから。あたしのこと、ちゃんとわかってくれてるってわかったから。あんたは何よりも信用できる人だから。きっと、悪いところを知っても知られてもあたしはもう屈することなんか、ないよ。(本当は、あたしのこと知りたいって言われて嬉しかっただけなんだ)