あたしは夜の中を走る。息が切れても、汗が垂れても、元々そんなに可愛くない顔をさらに不細工にしてしまうくらいに顔が熱く赤くなっていても。夜風はあたしを突き抜ける。あたしは、そんなもの気にしない。疲れてフラフラになってくる。昔は、これくらいの距離は如何ってことなかったのに。これだから文系は、どんどん体力が衰えていってしまうんだ。そうしてやっとの思いで辿りついた場所は、昔良く遊んだ公園だった。


この場所は、ビルが何個か建っている大通りの路地裏にある目立たない公園。公園のすぐ目の前には大きな大きな、外国にあるようなお金持ちの屋敷がある。それでも、此処はまだ小さい頃のあたしがよく来た公園だった。昼間だってビルの陰に隠れて涼しいし、夜はキラキラ、星がよく見える場所であたしはこの場所が大好きだった。夜の公園のジャングルジムの上に座って、星空を見るのが好きだった。あの頃、とても大きくて登ることが困難だったのに、今じゃいとも簡単に頂上へと辿り付ける。文化系でも、これくらいは出来なきゃね。あたしが上で、空を見上げると深い深い青色があたしを包み込んでいた。だけどあの頃とは大分変わってしまった、この世の中。あの頃は一面にパアアって、星が浮かんでいたのに、空気があまりにも汚いものだから星は点々としか見当たらない。ああ、こんな現実知るくらいなら来るんじゃなかった。そんな風に後悔しつつも、あたしは空を見上げ続けていた。


キイ、と金属音が聞こえて空に目掛けていた視線を下ろすと、ジャングルジムの隣にあるブランコに男の子が一人、座っていた。大人っぽいけれど少し幼さが残る顔は、だいたいあたしと同じくらいの年を感じさせてくれる。私が視線を向けて、目が合ったら、男の子が笑う。綺麗な顔をしている子だけど、あたしが彼に笑い返すことはない。高いところから、あたしは彼を見下ろす。




「ねえ、君さ。何してるの?」
「天体観測よ、見て判らない?」
「望遠鏡で見ればいいんじゃない?なんでわざわざこんなところに来て見てるの?」
「家に望遠鏡がないの」




そんなもん、あの人が買ってくれるわけないでしょ。続けてしまいそうになった言葉を必死に飲み込んだ。この男の子はあたしのことなんてこれっぽっちも知らない。そんな人に、私情を愚痴って如何するんだ。初対面の人にそんなこと愚痴られたら向こうだってそんないい気分にはならないだろう。男の子は興味なさげに「ふうん」と呟いて、ブランコを子供のように漕ぎ出す。そうして暫く無表情に漕いでいたのだけれど、何時の間にか漕ぐのをやめていてあとは自然にブランコが止まるのを待っているだけだった。




「ねえ、あんたはなんでこんな時間にこんなとこにいるの?」
「ちょっと喧嘩してさー。頭冷やしてんの」
「友達?」
「いや、兄弟」




ふうん、と今度はあたしがつまんなそうに呟いた。あたしはジャングルジムの鉄片からゆっくりと下りて(飛び降りようかと思ったけれど、小さい頃ほど運動能力はないのでやめた)、彼が座っているブランコの隣へ向かう。ブランコに座ると先ほどと同じ嫌な金属音が聞こえた。此処のブランコも大分錆びているな。ブランコから空を見上げると、丁度隣にある木の葉が邪魔して、空なんて見えなくなってしまった。隣のブランコだったら、葉の影は晴れて、良く見えるんだけどな。ああ、でもやっぱり。ジャングルジムの方が、空に近くていい。




「此処から、もう見れなくなっちゃうんだね」
「……え?」
「知らないの?此処、ビルが出来るんだよ」




知らない。そんなこと、知らない。あたしの世界に、メディアという名の情報は入ってこないから。あたしの頭の中に詰め込まれているのは、何時だって母親の奇声と計算やら漢字やらの勉強のことばかりで、最近人気のジャニーズや、流行の服とかアクセサリーとかの話なんてもの入らない。否、入ることが出来ない。だから、走って15分かかる公園が消されてしまうなんて知らない。あたしの思い出の場所が、磨り潰されてしまうなんて知らない。




「…ふうん」




あたしは呟いた。あたしの大事なものは、あたしの知らないうちに、知らない場所で、知らない人によって、消されていく。