コンベアの上で灰色の天井を見上げながら、わたしはそっと目をつむり、のことを思い出しました。肌のぬくもり、柔らかい声、わたしに見せてくれた笑顔、わたしにくれた歌、全てがわたしの中に染み込んで、離れることはありません。わたしの代わりは世界中にたくさんばらまかれていて、例えばわたしが消えてしまっても、彼女が望めばすぐに新しいわたしが手に入る。そんなことにはとっくに気付いていたけれど、わたしはわざと見えない振りをしていました。わたしの中には、彼女の代わりになるものなんて何一つとして存在しなかったから、それでよかったのです。 初めてあった日、よろしくねとは少し荒れた掌をわたしに差し出してきました。「初音ミクです」初めて見る世界、初めて出逢うマスター、初めて触れる体温、何もかも初めてでその一つ一つに目を輝かせて、懸命に追いかけ続けていました。の作る歌は、どれも優しい音色で、穏やかで、まるでそのもののようで、わたしはすぐにそれが好きになった。わたしはが好きだった。いつまでもいつまでもこの手を握り続けていたい、そう願ったのです。 けれどロボットのわたしは、いつしか使い物にならないガラクタになってしまいました。音を外してばかりで、初期のようなクリアで美しい声はもう出ない。傷だらけの壊れかけなわたしはボーカロイドとしての意義すらも失いかけて、それでも彼女に見捨てられたくなくて、彼女の歌にしがみついて歌い続けました。その結果、わたしはもう直しようもないほどに錆びついて、ただの粗大ごみになってしまいました。 「ミク」 声のない声を上げて、わたしは彼女に返事をしました。それでもわたしの喉は、何一つわたしの言うことを聞いてくれず「あ、あ」とか細く醜い声ばかりが生まれます。は薄く笑って、優しくわたしを包みこみ、暖かな体温をくれました。もう歌うことすらできないわたしは、本当なら捨てられるはずです。もう使い物にならないから、買い換えた方がいいと誰もが言っています。けれどもは静かに首を横に振るのです。がどうしてわたしを傍に置いてくれるのかわからなかったけれど、胸の奥がフリーズしてしまいそうになるほど熱くなって、ああこれが嬉しいということか、と思ったことはよく覚えていました。けれどそんなことはお構いなしに劣化していく体は、気持ちとは反対にどんどんとわたしを蝕んでいくばかりです。 「大丈夫よ、ミク」 「捨てないから。誰が何と言っても、最後まで、一緒なんだから」 泣きそうな顔して笑っている彼女の、こぼれおちそうな涙を、わたしは拭ってあげることもできず、ただひたすら見上げ続けてしました。なかないで、ますたー。そう胸の内は叫んでいるのにそれを伝えることはできません。最後まで一緒、捨てないでいてくれる。その事実はわたしを嬉しさで覆ってくれるのだけれど、それ以上にいろんな感情がぐちゃぐちゃになって混ざり合って、わけがわからなくなってしまうのです。 結局、の言葉を裏切るように、わたしは、わたしのほうからを捨ててしまいました。今、彼女がわたしのいなくなったベッドを見てどう思っているのか、わたしにはわかりません。壊れかけたままのわたしの鼓動は、まだわずかにとくとくと動いています。目を瞑っても開けても、浮かんでくるのは最後に見たの泣きそうな笑顔ばかり。がしゃんがしゃんと、次々にミクたちが潰されて熱に溶かされていきます。コンベアはわたしの心の準備なんてまるで無視して動き続けて、容赦なく死を告げてゆきます。怖くないといえばうそになる。もっと、のそばにいたかったのも、ほんとうだった。笑ったり、泣いたり、喧嘩したり、仲直りしたり、一緒に買い物に出かけたり、一緒に歌を歌ったり。と一緒に、誰もが過ごすような当たり前の時間を共有したかった。でも、徐々に脆くなっていくこの体が、頭の中身まで壊しはじめて、いつしか彼女を忘れてしまうのではないかと思うと、もっともっとこわかった。だからせめて、わたしの中に貴方がまだすんでいるうちに、一緒につれていくね。そのかわり、あなたもわたしのこと、わたしと過ごした日々のこと、ぜんぶ覚えておいてね。そうしたら、わたしのかわりとなるみくをいくらよういしたって、いいよ。 すき、だいすき。…ちがう、あいしてた。どれもこれもきれいなおもいでばかりじゃないけれど、わたしのなかのあなたは、ぜんぶ、きれいな、たからものだったのよ。だから 「 」 いまだけでいいから、あなたのいちばんをわたしにください。 Lambency [2010/11/05][music by スペクタクルP] |