気持ちまでは受け取ってもらえなくても、物品だけでも受け取ってもらえるよう、夜中までかかって作り上げたチョコレートは、思いもよらぬ人の胃袋の中へと消えてしまった。どうすればいいのだろう。今年こそあげるんだって、此処二年の間に積もらせた気持ちを詰め込んだのに、それすらも無駄になって。たったチョコレート一個、だけどその一個には私にとって覚悟とか気持ちとかいろいろなものが混ざりこんだ一個で。私はぽろぽろと涙を落とした。「あーあ、チョコとられたくらいで泣くなんて、子供だね」彼の言ったことを思い出し、ぐずぐずとまた何かが溢れる。子供でもいい、それだけ真剣だったのだから。人の少ない放課後でよかった。私は妙なことに安心しながら、酷い顔を隠すことなく廊下を歩いて、自分の荷物が置いてある教室のドアを開けた。 瞬間、チョコレートを渡すはずだった相手と目が合った。慌てて涙を拭いて誤魔化そうとしてみるものの、既に顔は平和島くんに見られていたらしく、平和島くんは焦ったように声を上げた。 「?な、なんかあったのか?」 「……えっと」 「なんだよ」 私がもたもたとしているので、平和島くんは少し苛立たしげに顔を歪ませる。チョコとられたからということを伝えるのは気恥ずかしいのだけれど、このままにしていると平和島くんを怒らせてしまう気がするので言葉にすることにした。どうせなら聞かれてすぐに「なんでもない」とでも言っておけば、きっと彼も深く追求してこなかっただろうに、私はどうにもテンポが悪い。当たり障りがないように「チョコ、とられちゃって」とできるだけ明るめに言ったのだけれど、もうすでに泣き顔を見られているので当たり障りのない話じゃなくなっていた。平和島くんは眉を寄せて、すぐさま「誰に」と聞いてきた。平和島くんには非常に言いづらい。けれど、言わなければすぐさまその顔に血管が破裂するんじゃないかと心配してしまうくらい浮かんでしまう。言っても結果は同じだけれど。 「………折原くんに」 「よしわかった、殺す。ぶっ殺す。めった刺しにしてくる」 「い、いいよ、そこまでしなくても!ほら、私元気出てきた!大丈夫だから!」 「だって、誰かに渡すもんだったんだろ?だったら殺すべきだろ?」 「いやいやいやいや、そういうことじゃなくてね。私はそこまで気にしてないから!」 「が気にしてなくても俺が気にする」 「え、なんで平和島くんが気にするの…?」 平和島くんが言った言葉に反応して、思わず疑問を返すと、途端彼は動揺したようにうろたえて持ち上げかけた机を下へと降ろした。怒りは何処かへと消えた代わりに、妙な沈黙が続いた。自分の感情に素直な平和島くんでも、言いにくいことはあるらしい。私はそれ以上追及はせずに、自分の席のほうへと歩いた。 「あのね、本当にとられたことはいいの」 意気地なしの私は、とられたことに安心もしていた。「ほら、さん。これで渡す必要なくなったよ。よかったね」折原くんが言ったことは間違ってはいない。的確すぎて、突き刺さる。大事な大事な気持ちの詰まったチョコレートだけど、それを渡すということはその気持ちも伝えなくてはならないということで。その勇気を発揮することなく終わったことに、安心している。私は意気地なしの小心者だ。 「それに、とられなかったとしても渡せなかった気がするし」 言い訳じみたことを口にしながら、鞄に教科書やら、友達と交換したチョコなどを詰めていく。イベントに背中押されてもなかなか動くことのできない私が、次に動くことができるのはいつだろう。鞄のチャックを閉めたら、私と机に影が差した。顔を上げると、平和島くんがすぐ傍まで来ていて、私に右手を突き出していた。 「やる」 開かれた右手の中には一つのチロルチョコがあった。え?これ、平和島くんが貰ったものじゃないの?戸惑う私を見下ろして、平和島くんは軽く舌打ちをして、いいから受け取れと催促をした。私は急いで、それに従う。 「とられたやつの代わりにはならねぇけど」 食べるなりあげるなり、好きにすればいいさ。不機嫌そうで不器用な言葉がじんわりと広がって、そのせいでまた涙が出そうになった。「あ、あり、ありがと、う」声がひくついて上手く出せない。私を隠す影が動いて、私の前から消える。ガタンと扉を閉める音が聞こえた。掌に乗る小さなチョコレートは、少しだけ溶けていて柔らかい。それからはじけるように、私は教室を飛び出した。 「平和島くんっ」 追いついた背中は、声に反応して振りかえってくれた。声も体も震える。けれど、もう彼を目の前にしたらすることは一つしかなくて。私は震える両手を差しだして、その上に置いてある小さな存在を示した。折角あげたのにって、怒られるかな?でも好きにすればいいって言ったのは平和島くんだよ。前が見れない。顔を見たら、緊張で声が出なくなってしまうから。前は見ない。 小さいし、さっき貰ったものだし、手作りでもないけれど、込めた気持ちはあのチョコレート以上だから。 重 低 音 の ラ ブ バ ラ ー ド [2010/02/21][title by Canaletto] |