袖から少し眺めの糸が垂れていることに気づいて、それをぐいっと引っ張り、無理矢理そこから切り離した。隣で私がいることも忘れてるんじゃないかってくらい本に集中していた耀さんは、「ちゃんとハサミを使うよろし」と怪訝そうに私の手の中の糸を見た。私がはーいと間の抜けた返事をすると、耀さんは溜息を吐いて、また漢字ばかりが羅列する本に視線を戻した。


さっき、耀さんの袖から切り取った糸を眺める。赤い服の袖口から取れる糸は、当然綺麗な赤色をしていた。中々切れず、意地になって引っ張り続け、最終的にはぶちった糸はそれなりに長く、先端は荒々しい。耀さんが相手をしてくれないものだから、暇つぶしにくるくると指に巻きつけて遊んでみたりするけれど、それもすぐ飽きてしまう。隣を見ても、こちらに視線を向けられることはない。私は耀さんの右手を勝手に取り、その小指にさっき切った糸を輪を作ってかける。細くもごつごつした小指に、手首をまわして蝶々結びを作ったあと、今度は反対側を自分の指につなげた。片手で細い糸を結ぶのは難しく、散々苦戦したのち、結局ゆるく一度だけかたむすびしただけで終了してしまった。片手で蝶結びは無理だ、絶対。それでも私は満足して、繋がれた糸を見ると頬が緩むのを抑えられなかった。


「…何しているあるか」
「あ、読み終わったんですか?」
「まだある。けど、さっきからが変なことばっかするから、集中できねーあるよ」


耀さんはしおりを挟んで本を閉じると、それを机の上に置く。それから、赤色の糸をつまんで持ち上げると「これは何あるか」といぶかしげに言った。私は自分の少女趣味な行動に少しだけ恥ずかしさを覚えながら、呆れた表情の耀さんを見上げる。


「運命の赤い糸。……もどき」
「ただの糸くずじゃねーあるか」
「だから、もどきです」
「またそんなくだらねーことを。湾もお前も、女の子はなんでそういうもんが好きあるか」


疑問形というよりも、理解できないとでもいうような声色だった。いいじゃないですか、と私は苦笑した。耀さんは親指と人差し指の間でくるくる糸をいじっている。そのせいか、私と耀さんの間で揺れる糸は次第に緩み始めて、はらりと垂れ落ちてしまった。私の指をすり抜けた糸は、耀さんの手の下で左右に動いていた。やっぱり、かたむすび一回じゃゆるすぎたみたいだ。かといって、片手じゃ上手く結べないのだし、仕方ない。


「ほどけたあるな」
「ほどけましたね」
「…つまり、我との関係は簡単に崩れてしまうというあるか」
「ただの糸くずにそこまで求めないで下さいよ」


耀さんはじっとしばらくその糸を見つめたかと思うと、急に立てたままの私の左足を掴んで、その足首に輪をかけはじめた。けれどそれじゃあ長さが足りなかったらしく、耀さんは息を吐くと仕方なしに、足の小指に結び目を作り始めた。これは私が耀さんにやったような蝶々結びではなく、さっき自分でやってほどけてしまったかたむすびだ。それも、二回、三回と続けて巻きつかれる。きゅっと指先が締まる感覚がくすぐったい。それが終わると自分の小指の糸をほどいて、私にやったのと同じように右足の指に巻きつけた。


「紅線は元々、足首に縄で繋がれてると言われていたね」
「へー…なんだか、痕が残っちゃいそうですね」
「そうあるな。けど、我は痕が残るくらいのほうがいいある」
「…だから、こんなにきつく結んだんですか?」
「結び方が甘すぎると思っただけね」
「とれなくなってしまいますよ」
「とれなくてもいいあるよ」


否、とれないほうがいいある。


言葉に気を取られた私は、突然足に何かが這っているのを感じた。見ると、耀さんがその長い指で私の足を伝うように撫ぜている。なめらかで柔らかな感触と指の体温のせいで、体中の熱がそこへと触れられていく。避けるように身をよじっても逃げても、左足は完全に捕えられて逃げ場を失う。く、く、くだらないとかいったくせに、自分のほうがよっぽど真剣じゃないですか。しどろもどろになりながら睨んでみたものの、それもまるで効果なく、耀さんは私の反応を楽しむように笑うだけだった。流される私も私だけど、やられっぱなしはやっぱり少し悔しい。仕返しに、耀さんの右手を奪い去って、私は小指に思い切り噛みついてやった。


「…痕が残るくらいのほうが、いいんでしょう?」


先手必勝と、耀さんが何かを口に出す前に反論してやると、耀さんは小指に残った恰好悪い歯型を茫然と見ていた。かと思うとくすりと笑って、歯型の残った右手で私の左手を巻きつけた。私の小指を結んでいた糸とは比べ物にならないくらい、強く。「独占欲の強いやつあるな」そうですよ、私は本一冊にも糸くず一本にも貴方を取られたくないんです。それに、それは貴方だって同じでしょう?耀さんの楽しそうな声が再び耳を打つ。「けど、やるならもっと色気のあるやり方でするよろし」囚われたままの小指をまた唇に寄せたと思ったら、今度は甘みのある痛みがそこに走った。
紅色の幸線
(こんなもの、なくても離してやるつもりはないけれど)




[2009/09/25]