マスターはピアノの前に座り、弾いていっては時々手を止め、楽譜に書きこんでいた。作曲中か。夢中になっていて気付いてないみたいだから、俺は邪魔しないようにそっと部屋に入って椅子に座った。マスターは弾きながら楽しそうに口を動かす。たぶんまだ歌詞は決まってないから、ラララ、と言ったところだろうか。そんなマスターの横顔を目に止めながら、ピアノの音に耳を傾ける。と、突然旋律が止まったと同時に、マスターがこちらに目を向けた。びっくりした、いつのまにいたの?そんな風に目で訴える。「ついさっき」と聞かれてもないのに答えて、立ち上がりマスターの方へと寄る。楽譜は何度も上書きされていて、ぐちゃぐちゃだった。けれどそれは真剣に考えている証拠でもある。


「これ、新しい曲?」


静かに頷いた。俺歌うの楽しみ、そう伝えるとマスターの目が一瞬曇って、それから笑顔を作り、そうだね、ともう一度頷いた。なんだか何かを堪えているようにも見える。ごめんね、マスター。傷つけてるってわかってるけど、俺だって必死なんだ。


「俺がマスターの声になるよ。マスターの代わりに、いっぱい、いっぱい歌う。…そう約束したもんな」


俺がそう笑ってみせると、マスターは俺から楽譜に目線を逸らした。それから唇を噛んで拳を握り、しばらくしてからそれらを緩める。そうしてからやっと俺に目線を戻して、そうだねとでも言うように微笑んだ。無理してるってことくらい知ってるよ。俺の言動にどれだけマスターの心が抉られているのかはわからないけど。


マスターは俺を捨てたりしないよね。俺は確かにマスターがいないと歌えないけど、マスターは俺がいないと曲が完成しないんだ、絶対に。マスターは自分自身で完成させることができないから、俺がマスターの声の代わりになるって決めたんだ。「約束、だからな」確かめるようにそう言うと、頷く代わりにマスターは俺の指に手を絡めた。掴むように触れた手は、震えてる。レン、と名前を呟かれたような気がした。だけどそんなの気だけだと首を振った。だってそんなもの聞けるんだったら、俺達の繋がりはとっくになくなってる。俺はいつマスターに捨てられるか飽きられるかわからない不安を抱きながら生きてることになる。マスターには悪いけど、俺は感謝してるよ、マスターに声がなくて。歌を完成させることのできない体で。おかげでこんなに不安定でも頑丈な、確かな確信を手に入れられたのだから。約束の言葉、ゆびきりの温度、俺はわすれない、わすれてない。どれだけ抉っても傷つけても傷ついても悲しませても笑っていても泣いていても、それが俺達の居場所。


















     の






[2009/10/17]