おれの下にいるマスターの顔の横をおれの手が縫い付ける。マスターの腕は汗でべとべとしていた。同じように髪の間からも光る液体が見えて、肌からすごく速い脈の動きが感じられる。そんな人間の生々しい動きにおれは憧れる。おれには心臓がない、あるのは無機質な機械だけだ。暗い部屋の中でもくっきりと見えるマスターの顔は、何が起きたのかわからないと言った風だった。目には怯えを宿していて、それを見るとおれは満足感を覚える。マスターは「れ」とおれの名前を呼ぼうとしていたが、喉が渇いて居るらしく、「ん」の音は響かず息の音がかすかに聞こえただけだった。マスターはおれたちにとって絶対の存在。だけど、今はそのマスターの支配権がおれに渡っている。そのことが嬉しくて、つい笑みを零した。 「マスター、知っていますか。おれ、マスターのことが好きなんです」 「……」 マスターは何も答えない。けれど、知ってるよと言った風な顔だった。でも、マスターは知らないんだ、知ったかぶっているだけで。おれたちには、必ずマスターが好きになるようにプログラムされている。それは家族愛や友情に近いもので、現にリンはマスターを姉のように慕っている。けれど、おれが言っているのはその「好き」じゃない。プログラムされているはずがなく、それから本来なら芽生えるはずもなかった感情。マスターは完全におれの言っている「好き」が家族愛みたいなものだと思い込んでいるらしく、そんな考えに至るはずもない。 「マスター、」 そう言っておれは腕を抑えつけていた両手を外し、それをゆっくりと真横に滑らせていく。そしてとある位置でぴたっと止まり、細いそれの周りに重ねるように腕を置く。そのわずかな感触に気づいたマスターの顔は一気に血の色が失せて、解放された腕でおれの腕を捕まえる。おれは動かされない程度に力を込める。「や、やめっ――」命令の言葉を紡ぐられそうになったので、おれは素早くマスターの口を塞いだ。おれたちはマスターの命令に逆らえないようプログラムされている。マスターの言葉はおれたちにとって絶対だから、言わせてはならないのだ。マスターはおれがそんな行動に出るとは思わなかったらしく酷く驚いて、注がれていた力があっさりと抜けてしまった。唇を離すと、近い距離にあるマスターの顔はわずかに赤みが増していることが、暗い部屋の中でもわかる。「マスター、」おれの言う、好きって言葉の意味をわかってくれましたか? 「おれ、マスターが欲しいんです。おれのものにしたいんです」 首ったけ
愛惨劇
そしてマスターの首に絡みついている腕にそっと力を込める。マスターはそれに気づくとすぐに両手を先ほどの場所に戻して、力を加えた。だけど勿論おれの力にかなうはずがなく。足もじたばたと動かして先ほどの怯えきっていた瞳からぽろぽろと真珠のような涙を流して口を動かしてでも声は聞こえなくて、そんな風に暴れていたけれどそのうちにパタリと動かなくなってしまう。先ほどまでの頸動脈が激しく打つ感触も伝わらない。ああ、これでやっと。安心したけれど同時に酷い空虚感に襲われる。「…」初めて呼んだマスターの名前は、暗闇の静寂の中に虚しく消えていった。[2009/07/18] |