抜け落ちた黒に
私の髪の毛からぽたり、雫がひとつ床へと落下した。まだ濡れたままの髪の毛が首筋を伝い服を濡らす、壁と私に挟まれた髪の毛が背中を冷たくしていく。早く乾かしたい。だけど、壁に私の腕を抑えつける手がそれを許さない。それほど大きくないけれど、男子特有のごつごつ感のある手を動かすことは私にはできない。「マスター」耳元で彼特有のボーイソプラノが響いた。私がどもりながら返事をすると、――レンは私を一瞥すると、微笑みながらもう一度私の名前を呼んだ。…なんだ、今の。ざわざわとしたものが私の背中をうろつく。
「マスターがいけないんだよ」
「……なにが」
「いつも無防備でさ。…今の状況だって、ちゃんと理解してないでしょ」
無防備とか言われても。私はそんなつもりではなかったわけだから仕方がない。レンは困ったように「それも」と情けなく眉を八の字に下げた。「でも、もうどうでもいい。どうせ止まんないから」私の髪の毛を一束すくい、それに唇を近づける。なな、なに、なにをし、して、るんだ!それを見た私の体は一気に火照りを増していくけれど、それを悟られるのは癪だったから、誤魔化すように自分の唇を噛んだ。そうして必死に「レンは、…他のひとにもそういうこと、するの?」と聞いた。喉がカラカラに渇いて、声は出辛かった。レンは動揺した様子もなく、「そうだよ」とあっさり答えた。胸にグサリと何かが刺さって、堪えようと手のひらを握り締めた。嫌悪感が私の中に渦巻く。聞かなくたって知ってた。毎日のように朝帰り、たまに首筋にキスマークなんかつけちゃって、他の女の香水がプンプン漂う、気づかないわけがない。「でも」レンの声が続く。他の女と同じが嫌な私は、その声に少しだけ期待した。
「全員、マスターのかわりだから」
本当はずっとずっと、マスターだけに触りたかった。レンの声は艶やかだけれど、どこか苦しそうで、どうしても嘘を吐いているようには見えなかった。ズルイ。私はずっと、レンはボーカロイドだから、そういう対象で見ないように、考えないようにしてきたのに。そんな風に言われたら、期待しちゃう。今までの努力が全部、パーになっちゃう。たったこれだけのことで、私をそんな状態に陥らせるレンはズルイ。「それって、酷いよ」レンの顔が見れない。水に濡れた床を見つめながら、泣きそうになった。だけど、だけど、さ、
「嬉しいって思っちゃう私も、ひどい」
そっと、私の頬に手が触れる。顔を上げるとすぐ近くにレンの顔がある。蒸発してしまうんじゃないか、ってくらい私の体は火照っていて、もうお風呂上がりだからとかそんな言い訳は出来ないくらい時間が経っていた。相変わらず乾かない私の髪の毛が、私のまわりを濡らす。まっすぐで済んだ瞳が愛おしくなった。もうダメだ、目をそらしながら生きていくには限界だ。さらに近付いてくるレンの顔を見て、私はそっと目を閉じた。
[2009/03/30][title by ROMEA]
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恋をした