その扉を開けて、中にいるマスターを連れ出した。マスターは相変わらず虚ろな目をしていて、どこを見ているのかもわからない。そこからリビングに移動して、いつもの通りソファーに座って、隣にマスターを置いた。マスターはなすがままにされて、やっぱり動こうとはしない。まあ、当然と言えば当然だけど、少し寂しいな。大丈夫だよ、マスター。もうすぐだから。そう声をかけるようにそっとマスターの頭を撫でた。


「今日、マスターの友達が来たんだよ」


マスターは今人に逢える状態じゃないから、病気って言っておいたけど。この言い訳もいつまで通用するかわからないね。あ、話逸れちゃった。えっと、それでさ、吃驚したんだけど。マスターの友達、リン持ってたんだね。一緒に連れてきてて、初めて他のボーカロイド見たからさ、すっごく吃驚した。リンも驚いてたみたいで、俺を見た瞬間目を丸くしてたよ。リンもマスターに逢いたがってたよ。マスターの友達が、いろいろと教えてくれてたみたい。友達と結構前から約束、してたんだね。俺全然知らなかった、言ってくれればよかったのに。マスターの友達は「まあ、サプライズだったからねえ」ってニヤニヤしながら俺とリンを見てたよ。でもやっぱり、中には入れられないから(入れたら秘密がばれちゃうかもしれないから)、今日はごめんなさい、って言って帰ってもらったよ。また今度ねって言ってたけど、たぶんもう無理だよね。…もっと早くだったらよかったのになあ、ちょっと残念だったな。


マスターは一向に返事を返そうとしない。わかってる、いつものことだ。反応がないのはやっぱりやるせないけど、ちゃんと聞いてくれてることくらいはわかっている。俺は堪らなくなって、マスターを引き寄せる。マスターをそのまま自分の膝の上に乗っけて、頬に触れた。冷たくなった頭、…当然だ、一日あんなところにいたら冷たくもなる。だけど頬は想像以上に柔らかくなっていて、もう解け始めてるんだということがわかる。俺とマスターが一緒にいられる時間は、もう後少しだ。大丈夫だよ、壊れるときは一緒だから。そう、髪を撫でると何本か髪の毛が抜けおちる。「そろそろかあ」そう呟いて、ソファーに寝転がった。膝の上のマスターは動かない、表情一つでさえ。俺はマスターの頭を自分の目の前に持ってくる。崩れる直前のマスターの顔は、やっぱり綺麗なものだった。たまらなく愛しくなって自分の胸にマスターの顔を押し当てる。


ねえ、マスター。俺はマスターが壊れてしまっても、ずっとずうっとマスターのものだよ。だから、マスターも俺のものにしてもいいよね?こうやって抱き締めたり話したりできるのは俺だけでいいよね。俺だけのものだよね、そうだよね?やっぱり動くはずのないにそう微笑みかけて、そっと持ち上げた。の断面の骨に俺の指が触れる。ぶよぶよした肉からはもう血は一切出てこないし、固まった血が指に付くことはない。けれどたまらなく柔らかくて冷たい。それはもうすぐ壊れてしまう、しるし。


「大丈夫だよ、壊れる時は一緒に壊れてあげるから」


は答えなかったけれど、きっといいよと答えてくれたはずだ。俺はそっと立ち上がり、先ほどの扉の前まで歩きゆく。そこで扉を開くと、ひんやりと冷気が扉の向こうから飛び出してきた。本当はさ、こんな寒くて暗い場所に閉じ込めるなんて嫌なんだけど、此処が一番の隠れ場所なんだから仕方ないんだよ。そう口に出して、を納得させているようで本当は自分に言い聞かせているみたいだ。ごめんね、と思いながらそこへを置いて、に目線を合わせてしゃがんだ。


「じゃあ、おやすみ」


決して微笑むことのないに、の好きだと言った笑顔で話しかけて、パタンと冷蔵庫の扉を閉めた。






さあ、




  旅


に出よう




[2008/10/12][如月さんへ!]