「め、め、めーこちゃあああんっ」


帰るなりわたしがめーこちゃんに抱きつくと、めーこちゃんがハァと明らかに呆れを含めた溜息を吐いた。そしてわたしの額に指を持ってくると、そのままぺちん、とデコピンひとつ。小さく悲鳴をあげて、思わず抱きついている手を離して額を抑える。痛いです、めーこちゃん。そう目で訴えると、めーこちゃんはまた溜息を吐いた。


「怖がりなくせにホラー映画を見たマスターの自業自得でしょ」
「だ、だって…夏だし、友達にせっかく誘われたんだし…」
「断りなさいっ!」


めーこちゃん酷い…わたしがどれだけ怯えながら帰って来たと思ってるの。ホラー映画なんて見た後には、もう暗い夜道なんてね、後ろから得体のしれない何かが付いてきてるような気がして、何度振り返ったことか!ほんとに、ほんとに怖かったんだからね!すっごくすっごく怖かったんだから。普段はなんてことない道なのに、ホラー映画見たりとか怖い話を聞いた日になると、どうして同じものが不気味に見えてくるんだろう。兎に角、すごかった。不気味で怖くて背筋なんか凍りっぱなしで寒気がして。必死にそう伝えると、めーこちゃんは落ち着けと言わんばかりにわたしの肩に手を置いて、「とりあえず、汗が酷いからお風呂に行ってきなさい」と言った。…お風呂、かぁ…。


「めーこちゃん、めーこちゃん」
「…何よ」
「お風呂、一緒に入りませんか?」
「はぁ?」
「だ、だって怖いんだもんっ」


わたしがそう言うとめーこちゃんは眉をひそめた。やっぱり女同士でもこの歳で一緒にお風呂、は嫌かなあ。でも、お風呂ってさ、蓋を開けたら何か飛び出してくるんじゃないかって考えちゃうし、シャワー浴びてる間になんか何かが後ろでうごめいてるような気もしちゃうんだもん。だけど、きっとそう伝えてもめーこちゃんは「いいからお風呂くらい一人で入ってきなさい。子供じゃないんだから」とか呆れながら言うんだろうな。わたしは半幅諦めて、うう、そう言われたら大人しく一人で入ろう、ささーっと入ってささーっと出ちゃおうと考えていた。すると、ぽん、と頭に手を置かれた。なんだろう。


「じゃあ、少し待ってなさい」
「……えっ!?」
「…何よ、嫌ならいいけど」
「いやいやいや、滅相もございませんけどっ!」


わたしがそう否定するとめーこちゃんは、「言っとくけど、マスターの頼みだから…仕方なくだからよ。勘違いしないでね」と付け足した。めーこちゃんの頬は若干赤いようにも見えて、照れてるのか、とわたしは自己解釈して頷いた。普段のめーこちゃんなら、言葉がきつめで、マスターであるわたしにも結構厳しいのに、こういう変なところで不器用なところが憎めないっていうか、可愛い。いつの間にかあのホラー映画の内容なんか頭から抜けて、わたしはただ、準備をしに行っためーこちゃんの帰りをひたすら待っていた。







(たまには素直になりましょう/MEIKO)








「ま、まままます、たーっ」


カイトが涙目で私のほうへと駆け寄ってくる。なんだなんだ、と思いながら近くまで寄ってくるのを待っていると、ぎゅっと首元に布が巻きついた。ちょ、ちょっと待て!今夏だから!暑いから!マフラーとか長袖とかでただでさえ見てるだけで暑いのに(ボーカロイドは暑い寒いを感じないらしい)、抱きつきなんてされたら自然に私の体温があがるでしょうが!無駄に顔がいいんだからうっかりときめいたりして心拍数があがるし、せっかくさらけ出してた肌の部分に分厚い布が当たるし。私はむぐ、と目の前の無垢すぎて少々扱いの困る男を引きはがしてチョップをかます。


「抱きつくな、って言ったでしょ。何度言ったらわかるの」
「人前じゃなければいいって、言ったじゃないですかっ」
「言ってない!捏造すんな!…それで、如何したの」


カイトは目にいっぱいの涙をためたまま、「これっ、思ったよりすごくすっごく怖いです」と右手をにゅっと突き出した。その右手の中には、一冊の文庫本。…ああ、この間本屋で買ったやつか。私は結構ホラーものが好きで、よくレンタルショップでDVDを借りたり、本を買って読んだりもしている。おかげで私が作る曲はなんだかホラーっぽいような暗い雰囲気が漂ったものも結構作っている。…まあ、仕事が選べないカイトって言われてるんだからネタソングを作るよりはいいだろう。しかし、うちのカイトは、曲にして歌うなら平気だが、映画とか本とかで見せるとめっぽうダメなのだ(歌っている間は集中しているから平気らしい)(でもホラーソングを聞くのはダメ)。一時期克服させようかとも思って(からかい・遊び半分だけど)、いろいろと見せたこともあって余計に悪化させてしまった。


「いつも言ってるでしょー。苦手なら読むなって」


カイトを慰めつつ頭を撫でつつ、苦笑しながらそう言うと、カイトは少し眉尻を下げて「でも」と否定の言葉を上げる。でも、…なんだ?進んで苦手なものを読むのに何か得でもあるのだろうか。だってこれから生きていくのには必要のないスキルだし、…。私は首を傾げた。


「…マスターが好きなもの、好きになりたいじゃないですか…」


うちのカイトは、どうにも馬鹿で無垢で無邪気で天然で、そういうところがずるい。そんなこと言われたらさ、女の子はうっかり好きになっちゃうよ、ときめいちゃうよ。だけど目の前で笑ってる男を見てるとそう怒る気にもなれなくて、馬鹿と云いながらそっぽを向いたらカイトのショックを受けたような声が聞こえた。







(苦手なものを克服しましょう/KAITO)








ひっ、と小さく悲鳴を上げながら二人で抱きあって目の前の画面にくぎ付けになる。い、今の不意打ちはすごく卑怯だ、卑怯すぎる。タイトルはなんだかほのぼのしてるのに、中身を見たらほのぼのしてなくてむしろホラーで、突然背筋がゾッと凍るような映像が流れてくるんだもの。夏だからか、最近某動画サイトでホラー動画とかボーカロイドホラーソングが増えている気がする。


「マスター…ち、違う動画、みませんか。今度はもっと明るいのを!」
「うーん…」


隣にいるミクはそう提案するが、なんていうか、夏であるせいか普段あまり見ないホラー動画をなんとなく見たい衝動に駆られる。怖いもの見たさ、ってやつだろうか。それとも単に怖がっているミクを面白がっているだけだろうか(自分だって同じくらい怖がっているくせに)。とりあえず、適当にその場で適当なそれっぽいタイトルの動画をクリックする。明るい動画を選んでくれると思っていたミクは、顔を青白にした。顔色がコロコロ変わって、なんか面白いかもしれない。


「ななな、マスター!わたし、怖いですよっ、マスターだって怖いですよね!?ち、違うの見ましょうよっ」
「あたしは今これが見たいのー。見たくないなら、ミク、違う部屋いけば?」


そう冗談を言ってみると、ミクの目に涙が溜まっていく。その様子を見ながら、可愛い子は泣き顔も可愛いんだなって何やら見当違いなことを考えた。ミクは「マスターは意地悪です…」と椅子の上で体育座りになり、顔を疼くめた。動画からタイトル通りの重々しい曲が流れ始める。だけどミクは動こうとはしない。…怖いものって、見た後だと一人になるのは嫌だよなぁ。例えそのまま怖いことを続けるとしても、一人になるよりは二人以上で行動したいものだ。ミクは顔を腕のと足の中に埋め込んじゃって、顔を上げる気配は全く感じられない。…少し冗談がきつかったかな。動画が流れている途中だけどプラウザバックをクリックして、別の動画を出す。そこから流れてくる軽快な音楽に気づいたミクが、そっと顔をあげた。


「やっぱりさ、こう、夏は明るくて爽やかな曲がいいよね」
「…マスター、大好きです!」


勢いよく飛び疲れて、そのまま後ろに倒れそうになった。危ない、椅子から落ちるところだった。だけどミクはそんなのを気にしないで、「あっ、この動画面白いですよ」とかなんとか言っている。少しはあたしの心配もしてよ、とか思いつつ、動画を見て笑っているミクを横目で見る。やっぱりさ、とっても可愛いうちのバーチャルシンガーは、やっぱり笑顔が一番可愛い。







(泣いた子を笑顔にしましょう/初音ミク)








目が覚めたら、リンはソファーに寝っ転がっていて、隣にいたはずのマスターの姿はなくなっていた!寝惚けた頭で周りを見渡しても、周りは見慣れが家具しか置かれていない。マスター、何処行っちゃっ「きゃああああ!!」突然女の人の悲鳴が聞こえた。驚いて聞こえた方を見ると、なんだかマスターにそっくりな女の人が怪物に襲われている!口が張り裂け目が飛び出しドロドロの黒い肌に長い爪。そんな形の物体が地を這い、マスターそっくりな女の人の足を掴みかかる。あ、マスター危ないっ、って思って気付いたらソファーから飛び降りて、マスターそっくりの女の人のところへ、ごつーんっ!走って行こうとしたら、何かにぶつかってズルズルと下に尻もちをついた。その痛みにようやく目が覚めてきて、その何かがわかる。…テレビ。そうだ、リンとマスターは一緒にテレビを見ていたんだっ。それでリンは途中で飽きて寝ちゃって…。テレビに映るのは相変わらず変な怪物、だけどたまに青白い顔の人とか、無駄に髪の毛が長い人やらも出ている。…なんでだろ、さっきマスターと見た時はなんともなかったのに。なんだか心の中が震えだす、青白い人がアップで映るたびに肩が飛び上がる。…まだ寝惚けてるんだろうか、マスターがこの怪物に襲われてるんじゃないかとかそんな思考に辿り着いてしまう。おまけにリンも襲われるんじゃないか、って。ないないない、と頭を振っても頭の隅っこの方でその考え方が根付いてしまって離れない。こ、これもマスターがいないからいけないんだ。マスターを探そう、ど、どうせ家の中にいるはずなんだし!そう思って、すくっと少し震えた足を立ち上がらせる。くるっと振り返り走りだそうとしてごっつーん。何かにぶつかった。「いたたた」…人の声!


「マスター!!どこにいたんですか!?」
「ちょっとトイレに。リンこそどうしたの、家の中で走り回ったりして…」
「それどころじゃなかったんですっ…目が覚めたらマスター、いなくて、リン、怖くて…っ」
「え、あ、ちょ、ちょっとな、泣かないでよっ」


マスターは泣かないでと必死に言いながら、涙が溢れて止まらないリンの背中を優しく掌で撫でる。バックで相変わらず不気味な音楽が流れてるけど、なんでだろ、もう怖くないや。落ち着いたころ、もう一度二人でソファーに並んで座った。えへへ、マスターの隣、居心地いいや。次第にうとうとし始めて、体はマスターの方に傾き始めて、目を閉じた。






(寝起きには気を付けましょう/鏡音リン)








マスターはソファーの左端に腰かけて、僕は右端に座っていた。なんだか変な距離だけど、いつもは間にリンが入っているもんだから、この場所がだいぶ定着してしまって改めて動くのも変だなって思ったから仕方がない。チャンネルを変えながらマスターは「映画見たいんだけど…レン、ホラー大丈夫?」と声を掛けてきた。ホラーを見るのは初めてだから、大丈夫かどうかわからないけどたぶん平気だろうと思って頷いた。そしてチャンネルを決定し、その番組は始まるのを待つ。俳優さんのインタビューや、新しい映画の宣伝やらもやっている。……………。


「……レン?」


真上からマスターの声が聞こえて体が飛び跳ねた。び、びっくりしたっ。顔を上げると、すぐ近くにマスターの顔があって。反射的に謝って、その場所から離れる。マスターは移動していない。移動していたのは僕の方だ。急いでいつもの定位置、右端へと戻る。いつの間に動いちゃったんだろう。…だって、思っていたものよりもずっと迫力があって怖いんだもん。しかもマスター、音量すごくあげてるし。……………。


「レン?」


真上からまたマスターの声が響く。はっと我に帰ると今度はマスターの腕をしっかりと掴んでいた。わ、わわわ、はずかしいっ。また反射的に謝って、いつもの定位置にいそいそと戻る。リンに昔聞いたことなのだけど、お化け屋敷ではキャーって怖がって抱きついたりするのは女の子の特権で、男は怖がっちゃダメなんだって。「レンはそれくらい度胸のある男になれないとダメだよっ」と言っていた。あの時は「別にお化け屋敷なんて怖くない」って言ってた気がするけど、今じゃあその言葉にだって自信は持てない。だってマスターは全く怖がる様子もなく見てるのに、僕は体を震わせて無意識にマスターの方へと寄っている。そう思った矢先、マスターが突然音量を小さくしはじめた。ピッ、と音を鳴らして今度は違うチャンネルに次々と変え始める。


「…マスター?」
「レンはホラー、ダメだったんだね。ごめんね、怖いもの見せちゃって」
「いえ…僕が、大丈夫って言ったから、」


ん、でもごめんね。とマスターは言いながら、チャンネルを今度はお笑い番組で落ちつけた。なんだかほんとに情けなくて腹立たしくて、マスターからチャンネルを奪い取ってもう一度あのホラー映画に切り替えた。マスターは驚いて目を丸くしていている。そして「レンはこれ、怖いでしょ?」と聞いてくるので、僕は首を左右に振った。…ほんとは怖いけど、マスターの好きなものならマスターのこと優先にしたい。それに普段リンにマスターのこと独り占めされてるんだもん、たまには僕だって。「レン」と名前を呼ばれて視線を送ったら、マスターがいつの間か真ん中近くに移動していて、僕を手招きしていた。


「隣で見てれば、怖くないでしょ?」


そういうわけじゃないけれど、離れて座っているよりはたぶんずっとましだ。







(ちゃんと確認しましょう/鏡音レン)








[2008/08/02]