後ろで「わっ」という声とどたんばたんという音が聞こえて、すぐさまその方向へ振り向くとマスターが階段の下段の方に座り込んで「いたた」と手でぶつけた場所をさすっていた。一体何回目だろう、階段から滑り落ちるのは。俺は息を吐いて、「何やってんの、マスター」と言って手を伸ばした。最近この行動が当たり前になっていて、もう癖というか、無意識っていうか、自然に手を伸ばすようになってしまった。マスターも最初は「大丈夫大丈夫」とかなんとか言って、足が擦りむいてるのも我慢して歩いてたけど(あの時は、我慢してる姿がちょっとかわ…じゃなくて!!)、今はもう意地になることもなく素直に俺の手に掴まっている。マスターの柔らかで暖かな指が触れると、指先から電流が走ったみたいになって、マスターの顔が見れなくなってしまう。




「ん、ありがと」
「…どーいたしまして」




ほら、今も。マスターに他意はないってわかってるのに、ちょっと笑っただけで俺の中の全機能が停止するかのような、全速力で起動してしまうような、そんな矛盾した感覚に陥る。体の中で機械がうごめいているような気がするのに、頭の中は真っ白と言った感じだ。「ま、マスター、学習能力が足りないんじゃないの?」と、つい毒を吐いてしまう。マスターは怒ることもしなで「そんなことないよ」と苦笑いしてる。なんで怒らないんだよ。怒ってくれたら、もうちょっと俺だって気が楽なのに。そう言われると、言った俺のほうが罪悪感が増す。そんなマスターにイライラしていると、マスターが「レン?」と俺の名前を呼んだ。なに、マスターと答える前に俺は固まって、何かの感触がする自分の右手を見る。俺の手は俺より一回り小さいマスターの手にいまだに繋がれていたままで、…――瞬間、恥ずかしくなって急いで手を振り外そうとする、けどマスターが離してくれない。俺の中の機械が暴れ出しそうだ。ウィーンウィーンと動いてそれが発する熱がどんどん上昇して、加速していく。静まれ、静まれって!俺がどんなに命令しても体が言うこと聞いてくれなくて、正直困った。マスターは俺の状況には全く気付かないで、ニコニコと笑って「ね、レン。今暇?」と聞いてくる。




「ひ、まじゃないっ」
「そっかあ。…一緒に買い物行こうと思ったんだけどな」




マスターは沈んだ様子で「レンとはあんまり出掛けたことなかったから、行きたかったな」と呟いてる。…あからさまに吐いた嘘に気づいてないのか、それとも相変わらず怒るということを知らないのか(どっちもあり得る)。マスターは、「じゃあレンとはまた今度かな」と言って手を離そうとする。離されるのが名残惜しかったのか、俺はつい力んでしまって、その力を感じたマスターはどうしたの、と首を傾げた。




「…やっぱ、暇」
「……」
「だから、行ってほしいなら、一緒に行ってやるけどっ」




ああ、嘘吐いたのは俺のほうなのになんでこんな偉そうな態度しか取れないのだろう。自分が情けなくなってくる。こんなんじゃあ嫌われてもしょうがないよな。俺がやっぱりいいと断ろうとしたら、今度はマスターの方から手に力が込められる。驚いてマスターの顔を見ると、にっこりと笑ってた。「じゃあ今日は、レンとお買い物だねっ」苦労知らずそうなアホっぽい顔だった。けどそれにどこか癒されて、うん、と俺は釣られてうなづく。じゃあ、とマスターは俺の手をそのまま連れて玄関へと歩きだす。え、ちょっとマスター?これで行くの?手繋いだまま?俺恥ずかしいんだけど、嫌じゃないけどさ!俺が混乱しつつも文句を言っても、マスターは全く聞き入れず、浮き足だっている。また転ぶよ、マスター。引っ張られながらも俺はまた息を吐いて、バレない程度にゆるく手を握り返す。あー、もう、しょうがないな。
駆け抜けるスタッカート




[2008/07/18]