きいろい



たいよう




わたしは太陽がほしい。そう、言うならばわたしは向日葵。ほしいのは光、浴びたいのは光、――わたしは向日葵。










悟空はよく、三蔵が太陽だとか言うけれど。わたしはどちらかと言うと悟空の方が太陽に見える。だって三蔵が太陽なのは髪の毛が金髪だからであって(しかも太陽というより満月みたいな金色)、わたしからみたらそれ以外は全くもっても当てはまらない。わたしにとっての太陽の条件に当てはまるのは悟空だけだ。悟空だけなんだ。だからわたしは向日葵でありたいと思う。向日葵の性質、光、つまり太陽のほうへ向いて咲くこと。だからわたしは向日葵でいたいんだ。それくらいは、許されるよね。




「人間って、欲望まみれで汚らしい生き物なのよね。自分の思い通りいかなきゃ腹が立って喧嘩して、それでまた仲直りしても同じ事を繰り返す。表ではニコニコしていても腹の中じゃ何を考えているのかわからないんだもの。わたし、人間なんて嫌い。妖怪の方がまだいいわ。妖怪だって欲望まみれだけれど、それをまっさらに出しているもの。寧ろそうしてくれたほうが清々しいわ」
「…、なんの話してんの?」
「人間って、欲望まみれで汚らしいよねって話」
「いや、だからなんで突然」
「だって突然思ったんだもの」




そう言ってるわたしも人間。わたしだって欲望まみれ。でもそんな汚いところ見られたくなくて必死に隠している。隠しながら笑うたびに、ああなんて汚いんだろうと落ち込むのもわたし。4人は、綺麗だと思う。たぶん欲望だって沢山あるだろうけれど、それさえも乗り越えてしまうような強い精神で出来てて、それを見つけるたびにわたしは綺麗な人たちなんだと思う。その中でも悟空は特に。太陽みたいな笑顔を撒き散らして、真っ直ぐに突き抜けて。ああ、だから惹かれたのか。わたしはわたしの汚いところを認めたくないから、綺麗な人を求めていたから。だけど欲しいけれど届かないし届いてはいけない。わたしみたいな汚い人間が触れちゃいけない存在なんだよね、悟空は。綺麗で、純粋で、真っ直ぐで、綺麗な人(妖怪だけど)。わたしは向日葵、太陽がほしいけれど太陽は届かない存在。手をどれだけ伸ばしても絶対に届かない。わたしは向日葵に手を添えて、




「向日葵、きれいね」






ねぇ、わたしの太陽。

















































でい仰を

[2007/04/13]