「くろーさん。月見酒しましょう」 酒を片手に顔を少し赤くしたが突然俺の部屋に尋ねてきてはそんなことを言い始めた。その言葉が終わると同時に裾を掴まれ、引っ張られていく。普段は大人しく、自分から他人に話しかけることすらあまりないがこんな行動を起こすということに驚き唖然としていた俺は抵抗する余地もなく縁側へと連れて行かれる。 「…?一体如何したんだ?」 「えーべつにどうもしませんよ〜」 彼女が口を開くと微かに酒の匂いが漂う。……酔っているな。は酔いやすい体質だから飲むなと言っているのに。全く、しょうがないヤツだ。溜息が思わず出てしまう。 「九郎さーん?ためいき吐くと幸せ逃げちゃいますよ〜」 「誰のせいだ、誰の」 「えー…わたしぃ?」 人差し指で自分を指差し、ケラケラと笑う。こうなるとは手に負えん。普段は大人しくヒノエが何かを言う度に真っ赤になっているのに、酒が入ると性格が軽くなるものだから余計に。は既に縁側に座って酒に手を出している。「ほらほらー九郎さん。ここにすわって」と赤くなった顔を見上げて俺に言う。自然と上目遣いになっていて、思わず俺は胸を高鳴らせざるを得ない。 「今夜は月が綺麗ですねぇー」 「ああ、そうだな」 「九郎さんそっけなーい!あ、ほらほら。もっと飲んで飲んで!」 「ばっ、注ぐな!溢れるだろう!?」 言うが遅し。既に酒は溢れて俺の手に垂れている。雫は俺の手を辿り落ちて行く。それを見ては「もったいない」と呟いている。おい、矛盾しているぞ。それからはその濡れた俺の手を握り締める。今度は一体何をしようと言うんだ。こっちの心臓は鳴りっ放しで酷いのだから出来ればこれ以上何もしないでほしいのだが。 「くろうさん、」 「今度は何だ」 「もし…もしもの話なんですけど。この戦が終わったらわたしは用済み、なんでしょうか?」 は俺の手を握り締めたまま、いや握り締めた手をさらに強く握って震えたような声で言った。…ああ、そうだったな。お前が酒を飲む時は何時だって何か悩み事があって誰にも言えないでいた時だった。こんな簡単なことを忘れていたなんて俺はなんて馬鹿なんだろう。 はいつもそうだ。自分の悩んでいること、考えていること、抱えているものなんて誰にも見せたりなんかしない。例えそれが同じ世界からの親友であっても、源氏の主将であっても絶対に。それが俺の知っているだった。用済み、という言葉は案外しっくり来るものなのかもしれない。戦に狩り出される者は戦が終わればみな用済みだ。だけど、俺個人としてはそんな簡単な言葉で片付けられるわけがなかった。用済みになんて、なるものか。俺が考えたまま答えられずにいると、じれったくなってきたのかは質問を変えてもう一度俺に聞いた。 「わたしは…邪魔ですか?」 「…いや、」 「……よかった、」 俺が否定したことが嬉しかったのか、はほっと安心したような優しいような表情になった。ああ、これがいつものだ。俺の、愛しいと思うだ。(別に手の負えないが愛しくないわけではないけど、俺はやはりこっちのほうが、)帰したくないと我侭なことを俺に考えさせる人だ。そう思うと非常に恥ずかしくなり思わず顔を逸らして月を見上げる。先ほどと同じ美しい月だ。だけど、心臓の音が止まらない。寧ろ速くなる。コツン、と俺の肩に何かがぶつかった。頭を下げ、見てみると細くて真っ直ぐな髪の毛が近くにある。それから規則正しい寝息が聞こえる。そんな光景に思わず笑みが零れて、それからもう一度光り輝く満月を見上げた。 今宵酒月夜 [2006/12/19] |