パパは絵に描かれた"にじげん"の女の子が好きだ。「ママよりも?」って聞くと細い目をさらに細めて「ママは二次元の人間っすよ。比べること自体おかしいっす」と自信満々に答えるのだ。ママは二次元の女の子とパパは語る。それなら、そんなママから生まれた私は? パパは、二次元が好きだ。 「パパはどうしてママと結婚したの?」 いつもパパが送り迎えしてくれる車の中でパパにそう尋ねると、ぴしっと空気が固まった気がした。正確には固まったのは"どたちん"と"とぐさっち"だけで、"かりさわさん"はにこにことしながら「ふふん、ちゃんもおませさんだねー。もしかして好きな子でもできた?」と笑って、それを聞いたパパが「ええっだれっすか!!? 上条さんみたいな人じゃないと認めないっすよ!?」と焦っていてそこだけが妙に明るく異様な空気だ。 どんな時も忙しそうなママと違って、自由業だというパパは毎日"どたちん"たちと一緒にお迎えにきてくれる。パパが"かりさわさん"と一緒に本を読みながら何やら語っているのを聞き流しながら、徘徊する車の中で私もパパに与えられた本を読むのだ。時々パパたちにも読んでほしいって頼むと、みんな嫌な顔ひとつせずその本を読んでくれた。その車の中はいつも新しい物語たちであふれかえっていて、とても楽しいママの知らない空間だった。 私が読むものはパパが読んでいる本とはだいぶ違う種類のものだけれど、私は本が好きだ。古い遺跡の探検も、世界を救うための戦いも、未来の猫型ロボットのお話も、全部全部面白い。中でも私はお姫さまと王子さまが出てくるお話が好きだった。本の中に出てくる王子さまはどれもきらきらしてて、お姫さまを守ってくれて、とってもかっこいい。これが二次元なんだって、パパたちは言っていた。こんな王子さまみたいな人が実際にいてくれたら、それは素敵なことだと思う。こんなドラマチックに王子さまと恋ができたのなら、これ以上ないぐらい幸せになれそうだとも思う。 「やっぱり空から降ってきたからっすかね」 しばらく考えてから出てきた短い答えに私は首を傾げる。"どたちん"が「おいあれは、」と何か言いかけてたみたいだけれど、私をちらりと見ると口を噤んだ。それからパパは続けて「二次元でのヒーローとヒロインの出逢いはいつも運命的で衝撃的なものっすよ。その中でも空から降ってくるという方法は一番メジャーなものっすけど、メジャーっていうのはだれもが受け入れやすいってことでもあるんす。ほら、『親方、空から女の子が!』って台詞で有名な―――」と熱弁し始めてしまい、私は頭をぐるぐるかき混ぜながらその言葉に耳を傾けた。パパの話はいつも追いつくのが難しい。時々"かりさわさん"が口を挟んで同意しているけれど、他の人たちは私と同じ状況なのか大きく溜息を吐くばかりだ。 一通り話し終わった後で、「だから、ママはさながら二次元からやってきたヒロインなんすよ。俺はヒーローになりたかったんっす」とまとめて、やっとパパから質問の答えを得た。やっと理解できる言葉をもらえた私は、ちがうよ、とうっかりママの秘密をしゃべりそうになったけれど、急いで口を両手で封じる。それを見ていた大人たちが、どうしたの、と首を傾げるので「なんでもないっ」と再び口を閉じた。パパと"かりさわさん"がまた二次元の世界へと意識を移したのを見ると、私は胸をなでおろした。 「え? ママが二次元の人間?」 「やだ、あの人そんなふうに言ってたの? もう、しょうがない人ね」 「まあそうね、出逢い方は少しアニメちっくだったかもしれないわ」 「ふふ、それにしてもわたしが二次元の人間、か。とても面白いことを言うのね、本当に」 「本当に―――それならどんなによかったことか」 細長く赤黒い線を描いた手首を持ち上げて、ママは幸の薄そうな痩せた頬を綻ばせた。ママの動作はいつも、何処か作り物めいていて、何処か儚げだ。少し日本人離れした堀の深い顔立ちが、本の中のお姫様を思い出させる。うっすらとした笑みが、今にも二次元の中に戻ってしまいそう。 パパは二次元が好きだ。二次元しか見ていないし、ママのことは二次元の女の子だと思っているし、私のことを二次元の女の子から生まれた子どもだと思ってる。どこまで本気かはわからないけれど、パパが二次元を好きである限り、きっとこのままなのだろう。 「パパ、どうしたらにじげんにいけるかな」 どうしたら、二次元になれるのかな。 私の問いに、パパは考えるような仕草をして、それはなんか違うっすよ、と首を振った。「二次元に入ったところで、ヒロインには愛すべきヒーローが、ヒーローにも愛すべきヒロインがいるんすから」私やママはヒロインにはなれない。だったら、二次元のママは、三次元のパパのヒロインにはなれないの? 「だから、ママは二次元から飛び出してきてくれたんすよ」 パパとわたしの話はいつまでも平行線をたどっていて、交わらない。よくわかんない、と呟きながら足を畳むように抱え込んでしまうと、そのうちわかるっすよ、とパパは優しく頭を撫でてくれた。パパの手がすき。現実味のある、しっかりとしたその手がすき。 ねえ、だけど、パパ。わたしは知ってるよ。ママは本の中の女の子じゃないってことぐらい。 それでもパパの中ではママが二次元の人間であることには変わらなくて、それなら、パパに愛されたくても二次元になりきれないわたしはどうしたらいいのかなあ。二次元の女の子から生まれたわたしは、いったいどこにいたらいいのだろう。パパのことがだいすきなだけなんだけどなあ。 ねえパパ。わたしはパパの愛になりたい。 |