君の母親が誰だか、俺にもわからないんだよ。 と、パパはコーヒーを啜りながら言った。 「ある日突然家に君が届けられたんだ。俺がいないときを狙ったみたいでね、受け取ったのは波江だったよ。『折原臨也の娘です』って君を渡してきたのは君の母親らしき女で、それ以上のことはわからなかった。調べることも不可能ではなかったけれど、俺はあえて調べなかったんだ。何故なら、君が成長していくにつれて誰に似ていくのか、誰の母親なのか、観察しながら予想するのが楽しそうだと思ったからね。もしかしたら俺の本当の子どもですらないかもしれない。それすらも全て君から感じ取ることが、楽しくて仕方ないんだ!」 パパが喜々として話すのを聞きながら、わたしはふうんと呟いてご飯を口の中へと放り込んだ。おかずにも手を伸ばしながら、パパの長い話をひとつひとつ頭の中へと放り込む。それはご飯と一緒に飲み込まれて、わたしの栄養の糧となる。 人間を愛している。それがパパの口癖だ。だから君が誰の子どもでも俺は今までと変わらない愛情を注げるよ。その言葉を聞いてわたしはほっと息を漏らした。何十回と聞いている話なのにそのオチを聞かないとわたしは安心できないのだ。 パパはそんなわたしを見透かしたように笑いながら、君のその目つきはだれだれに似てるね、人参が嫌いなのはだれだれと一緒だ、と知らない女の名前を上げて一人でママ当てゲームを始めた。この場にいる人間は誰もそれが正解かどうかを教えられないゲーム。 実のところ、わたしは本当のママが誰であるか、ということはどうでもよかった。血が繋がってくれたほうがうれしいけど、パパが本当のパパじゃないかもしれないということですらもわたしには些細なことだった。わたしにとって重要なのは、パパがわたしのことを愛しているかどうか、それだけだ。 「パパ」 「ん、なあに」 パパが作ったシーザーサラダをパパの愛と一緒に飲み込み、声をかけるとパパは応えながら柔らかく微笑んだ。パパの意識がこちらへと向いたことがうれしくて、つい身をのりあげてしまう。 パパはわたしの、外で体験したことを聞くのが好きだと言っていた。わたしを通して子どもの小さな人間象を見ることが、わたしの人間象を見ることが好きだという。よくわからないけれど、パパが楽しいならわたしはいくらでも話そうと思う。なにより、その間はわたしがパパの視線を独り占めできるのだ。 「あのね、今日友達に『ちゃんてお父さんに似てるね』って言われたの!」 このあいだ、たまたま二人で外で買い物をしていたところを見たという友達に伝えられた言葉だ。 パパからはママを想像する言葉しか聞けないし、他にママを知る人は誰もいない。唯一直接会った波江お姉ちゃんも、顔は覚えていないらしい。パパがやるような曖昧で不確かな想像図ではなく、はっきりと誰かに似ていると言われたのは初めてで、それが世界で一番愛しているパパだという事実は何よりもわたしをうれしくさせ、このうえない優越感を与えた。 わたしは緩みっぱなしの頬を抑えながら、パパの表情を覗くと、パパは無表情になってこちらを見下ろしていた。あれ、と頭の中に疑問が転がる。きっと、喜んでくれると思ったのに。 「そう、よかったね」 あまりうれしそうでないパパの顔を見たら、わたしはなんだか怖くなって急いで味噌汁を口に運んだ。ごくりと飲み込んでからパパを盗み見ると、パパは口を閉じたままどこか遠くを見つめている。わたしの視線にすら気付かないほど遠く。 静かすぎる夕食は、パパの愛ごと飲み込むにはとても苦しく、胸やけがした。 「一緒に生活していると、似てくるものなのかな」 だいすきなパパの匂いと柔らかいシーツに包まれながらぼんやりとパパの声を聞く。パパは、わたしがまだ完全には眠っていないと気付いているけれど声を続ける。力無い手で黒い服の裾を掴んで瞼を閉じるとどんどん意識は遠退いた。 「寝顔はこんなに君にそっくりなのにね」 言いながら、知らない女の名前を呼ぶ。今まで紡いだどんな名前よりも甘く、ゆっくりと。「パパ、」わたしはその名前を子守唄にして寝息を吐いた。 パパは人間を愛してるといい、わたしのことも勿論愛していると笑った。けれど唯一その女だけは、パパが持つどんな愛よりも特別な愛を向けられている。わたしがどんなにこころをパパへの愛でいっぱいにしようとも、パパはひとかけらも返してくれない。他の誰より大事に名前を呼ばれる、顔もわからない女が羨ましかった。 ママはずるいなあ。パパの前から姿を消したくせに、その時にパパのこころも一緒に持って行ってしまったんだ。ひどいなあ。 わたしを置いてママのところへ行ってしまわないように、パパの服を掴む手をにぎりしめた。するとパパはわたしの頭と背中に大きなてのひらを回して、ぽんぽんと軽く叩く。わたしはその感触に安心して、わたしはますます強くその手に力を注いだ。 パパ。わたしの、世界でたった一人のわたしだけのパパ。 わたしは、折原は折原臨也を、 ―――あいしてる。 |