もし私が男だったら。たまにそんなことを考えては背筋をぞっと凍らせる。

「ぱぱ」
「んー、どうしたー

 だっこ。言いながら手を伸ばすとパパは嬉しそうに微笑んで私を軽々と抱き上げた。一気に高くなった視界は、パパが映す景色で、それだけで私の心はどうしようもなく満たされる。パパの匂いを感じながら、パパの首元にぎゅうぎゅうとしがみつく。甘えんぼーだな、は。そんな風に零すパパにすり寄って、私ははあ、と息を吐き出した。

「あーちゃんずるい! ねね、ろっちー、私もだっこして?」

 瞳を輝かせたきれいな女の子がパパの傍に寄ってきて、胸元に抱き着いてくる。鼻の奥につんと、強く甘い香りが行き届いて、私はそのままパパの肩口に顔を埋めた。女の人の香水の匂いは好きじゃない。ママと同じ、人工的な強い香り。
 引っ付いてきた女の子に、パパはやっぱり嬉しそうに笑いながら「順番な」と軽く頭を撫でるように手を置く。愛おしそうに優しく撫でる姿に、女の子はうっとりとする。それを見ていた他の女の子たちが「ねえろっちー、わたしも!」と、とろんとした甘い声で告げる。耳元で何か囁いてふわりと笑うと、また別の女の子が「内緒話? 抜け駆けはナシだよ」なんて釘を刺す。

「抜け駆け、ねえ?」

 くすくすと笑いながら相変わらずの甘い声で鋭く私を責めるように突き刺してくるけれど、私はそれすらも誇らしく思いながらにっこりと笑いかけた。すると彼女は、すっと愛想のよい笑みを浮かべるのをやめて、「っていうか、ろっちーもろっちーだよ。デートに子供連れてくるなんてありえなくない?」なんて八つ当たりの対象をパパにかえた。

「ろっちーの女好きも困ったものよね。そんなところも好きだけど」



「パパ。パパはどうして、ママと結婚しないの?」

 そんな風にパパに尋ねたことがある。パパは困ったように眉をひそめると、「ママが俺を愛してくれてるからだよ」といった。私はよくわからなくて首を傾げたけれど、パパはそんな私の頭をぐりぐりと撫でて、それ以上は答えなかった。ママにも同じことを聞いたけれど、ママは苛立ったように舌打ちをしただけで何も言ってはくれない。ただ、楽しそうにパパを囲っている女の子たちを見ているときと同じ目で見られたことだけは、私にもわかった。
 パパはどうしようもない女好きだ。自分の恋人たちはもちろん、赤ちゃんやおばあさん、道端ですれ違う女の子も、お店の店員さんも、血のつながった子供を産んだママのことも、自分の子供である私のことも。みんな好きで、傷つけたくなくて、それでも傷つけてしまう、どうしようもないバカが私のパパだ。
 そんなパパが好きな女の子も、両手で数えても足りないぐらいにはいる。ママもそのうちの一人で、パパが好きで好きでしょうがなかったママは、私を産んで、パパを手に入れようとした。パパをママ一人のものにしようとした。けれど、パパはママのものには―――誰のものにも、ならなかった。
 女の子が好きなパパは、もちろん私のことも愛してくれる。もしも、私が男だったとしても、愛するママとの子供ならそれなりに愛してくれたかもしれない。けれど、今のようには接してくれなかっただろうなあ、と想像する。だから私は心の底から女に生まれてよかったと胸をほっこりさせるのだ。
 それと同時に、パパの子でよかった、とも。
 決してパパとは結婚できないけれど、私の中にはパパの血が流れているのだから。

、何してるの」

 つんとした強い香りが鼻奥を鋭くつつき、神経質な声が耳に飛んできて、びくりと体を震わせた。振り向くと、いつも通り機嫌が悪そうな顔立ちのママがいる。パパは嬉しそうにママの名前を呼び、それを聞いたママの頬は一瞬だけ緩むけれど、その顔はすぐ眉間にしわが寄せられてしまった。私に刺さる嫉妬の視線は、誰よりもママが一番強い。

「ほら、パパに迷惑かけないの。帰るわよ」
「…はあい」

 わざとパパという言葉を大きく言ったことで少しだけ周りがざわつく。別に結婚したわけでもねーくせに。そんな声も聞こえたけれど、ママは勝ち誇ったような顔をして、微笑んだ。
 パパはゆっくりと私の体を下ろしてくれて、名残惜しく思いながら抱き着いたままの体を離す。女の子たちはみんな甘ったるい声で「えーちゃん帰っちゃうの? 残念」と口端をあげる。その瞳の奥にぎらぎらと燃えていたそれが沈下していくのがはっきりと見えて、私はそれから目をそらしながら俯く。嫉妬されることより、その感情が消えていくその瞬間が何よりも怖かった。
 ぱぱ。呼んだ声はとても小さかったのに、パパはしっかりと拾ってくれて、私に背を合わせるようにしゃがむと、「なに?」と優しく尋ねる。その顔がいとおしくて、次にパパに会えるのはいつかな、という木霊を飲み込んで、近づいた頬にちゅっとキスをした。

「パパ、ばいばい、またね」

 手を振りながらママの方へと走ってゆく。ママは険しい顔をしていて怖かったけれど、やがて私に手のひらを差し出して繋がせると、私の歩幅に合わない速さで歩き始めた。握られた手のひらは痛くて、私は泣きそうになったけれど、同時にうれしくなってぼろぼろと幸せを吐き出した。
 パパはいろんな人に愛されて、愛しているのだろうけど、パパの血を受け継いでいるのは私だけ。結婚はできないけど、お嫁さんになるよりパパの子供でいたい。だって、子供にさえ嫉妬するぐらいパパに恋をしている恋人たちよりも、パパと結婚したくて私を産んだママよりも、ずっと近い位置にいられるから。
 けれど私は、パパがママと結婚してくれたらなあ、って思ってる。そしたら私は、パパとおんなじ苗字になれて、もっと近いところにパパを感じられて、何より死んだらパパと同じお墓に入れるのに。

「六条、

 私とパパは血がつながっている。
 それのなんと、―――いとしきことか。