「よし、綺麗にできた」

 さんは俺の頭の上に手のひらを滑らせると、満足そうに笑みを浮かべた。初めての時は手際が悪かった彼女も、もう何度かやっているおかげでですっかり手慣れたものだった。頭からそっと離れていった手のひらを名残惜しく思いながら、今度は自分で抜かれた色を触って確認する。視界に入る少し長めの前髪は、電球の光に反射してキラキラと輝いていた。
 「我ながら上出来!」と、自慢げに鼻を鳴らす彼女を横に、苦笑しながら胸ポケットに手を伸ばした。けれど、此処がさんの家だったということを思い出すと取り出しかけた煙草をもう一度押し返す。彼女の部屋や服に、俺の煙草の匂いをつける行為はさながらマーキングのようで、高揚感を憶えないわけではないのも事実だし、彼女自身が吸ってもいいと許可をくれているので躊躇う必要はないのだが、抵抗は残るのだ。

「そういえばさ、シズくんって髪触られるの嫌?」
「なんすか、今更。嫌じゃ、ないですけど」

 じゃあ、とでも言うようにさんは再び髪の毛に手を伸ばす。わしゃわしゃと少し雑に撫でる仕草に「おい」と声をかけるものの、彼女はいたずらな笑みを浮かべるだけでそれを止めようとはしなかった。今までも、ついさっきだって許可をとるようなことは一度もしなかったくせに、一体なんだ。疑問に思いながらも、こうして触れられることは嫌いじゃあない、むしろ好きといってもいいぐらいなので彼女の手に身を任せる。

「髪の毛をね、こうして触れられてさ」
「……うん?」
「嫌な気分にならないってことは、自分が相手に好意を持ってる証拠なんだって」

 だから、シズくんはわたしのこと好きなんだねえ。
 荒れまくった髪の毛に細く綺麗な指をからませながら、暢気にからから笑う。そんな真っ直ぐで素直すぎるぐらいの言葉に恥ずかしさを纏って少し視線を逸らし、「なんすか、それ。俺のこと試してんのか」と言うとますます嬉しそうに触れてくる。

「違う、わたしが触れたいだけ。触れる口実が作れればなんでもいいの」

 あああもう。この人は。本当に俺のこと試してんのか。
 手のひらがすっと離れたところを見計らって、今度は俺の方から手を伸ばす。ぽん、と軽く手のひらを置いてゆっくりと撫でてやると、指の間を細い柔らかいそれがするすると抜けた。びっくりしたように目を丸くして、さんはぼうっとこちらを見上げている。

「…、嫌じゃ、ないですか」

 さんはひゅっと息を止め、顔を真っ赤にして「シズくんって時々、そういうところずるいよね」と吐きだした。それは触れられるのが嫌だって意味だろうか。不安になって触れている手のひらをどけようとすると、直前に「すきだよ」と小さな声が耳に届いた。

「シズくんに触れられるの、すきだよ」

 言いながら柔らかく微笑むのを見て、よかったとほっと息を漏らした。指の間を細い髪の毛が抜けるのを感じながら、ふと、こんな風に触れたことは一度もなかったということを思い出す。いつもいつも、こうやって触れてくるのは彼女の方で、俺は何一つたりとも彼女に返せていない。
 それでも、そんな風に触れる傷だらけの手のひらにどれだけ執着しているのかも知らないまま、彼女は今でも俺の隣で無邪気に笑っている。